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zoom RSS 本「幼年期の終わり」

<<   作成日時 : 2010/04/28 22:02   >>

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本屋でぶらついていたときに、帯に「いまこそ、読むべき 名作SF」と書いて置いてあって、「今なら読めるかも」と思って読んでみました。

確か、最初にこの本を見たのは中学生のときの学校の図書館。その頃は、星新一、小松左京、筒井康隆の短編中心にSFを読んでいて、海外もののSFに手をだすかどうか確かめるために手にとったと記憶。

当時から続く私の悪い癖で、小説は、最後の数ページを最初に読んでからその本を読むかどうかを決める(だから未完の続き物は基本的に読めない)ので、この本のラストのあまりなスケールの大きさに手を出せないまま、時が過ぎてしまっていました。


この本は、地球の民が宇宙に乗り出そうと米ソでロケット開発競争が繰り広げられていた真っ只中に、降り立った圧倒的な科学力を持つ宇宙人「オーバーロード」と地球人とその裔の物語。物語内の時間は1960年代からその百数十年後くらいまでですかね。


第1章では「オーバーロードとはどんな姿をした何者か?」が、
第2章では「オーバーロードは、人類をどうしようとしているのか?」、
そして、最後に、「人類はどこに向かうのか?」が問いとして出てくるのですが、


その答えはただのネタばれになるので、ここでは触れないことにします。そういえば、先日の「果てしなき流れの果に」でも、時間の流れを超越してしまう高次の精神体という概念が出てくるけど、やはり人間を超える生命体、宇宙空間の広がりの中で活動できる知性となると、三次元での空間認識では処理できない(相手にする空間が広がりすぎていて生命の寿命がもたない?)と考えた方がいいということなのでしょうかね。


人類に感情移入するのか、人類の裔の行く末に関心を持つのか、人類と少しだけクロスしたオーバーロードたちの長い道のりと想いに思いをはせるのかは人によるかな、という気がするけど、個人的には、「詩的な人類の終わり方」が一番印象的だったかな。なんか、やり遂げて心穏やかに終わっていく生き方。種としてはともかく、個人としてそんな終わり方ができるだろうか、というのが読み終わっての感想。


ついつい人類こそが進化の頂点と思いがちな中で、物質的にも精神的にも「もっと上位の存在」を出すことは、驕らないよう、という警告なのかな。「2001年宇宙の旅」のスターチャイルドといい、存在するものの単位が大きいですね。

読んでいるうちに、大都市上空に浮かぶ巨大宇宙船や、全てを内包してしまう巨大な精神体「オーバーマインド」など、何度も何かで見たようなイメージだなと思うのだけど、よくよく考えてみたらこちらがオリジナル。その点からも、その後のSFに与えた影響は大きいのだということを実感。


我々が何かに突き動かされるように先に進みたがるのは、本当に人類が知性としての「幼年」に過ぎないからなのか?とも思わせる小説。中学時代に読んでいたらどんな影響を受けていたやら。


幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))
早川書房
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