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zoom RSS 映画「COCOLORS」&「きみの声をとどけたい」

<<   作成日時 : 2018/02/28 22:41   >>

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最近、東京メトロ内で下北沢にフューチャーした小田急電鉄のCMをやっているから、というわけでもないが、家族が好む菓子を買いに下北沢まで行くことに。ついでに何か面白いことはないか・・・と映画を見てきました。

ここには、短編・中編のここでしか上映していないような映画を主に扱うトリウッドという映画館があり、不定期に出かけるのですが、スケジュールを見てみると、今はアニメっぽいものがいくつか上映されている。


画像



引っかかったのが2つあったので、連続で観てみることに。


一つは、COCOLORS (上映時間46分)
http://gasolinemask.com/nishiki/cocolorslive.html

”延々と降り続く灰が、空と地上を覆ってしまった世界。人体を融解させるというバクテリアを含んだその有害な灰を吸い込まぬよう、人々は巨大なマスクと防護服で全身を覆い、地下深くに作られた街で暮らしていた。しかし、灰はしだいにその街をも侵食していき、やがて人々は絶望に飲まれていく。
そんな世界に暮らす少年、アキとフユ。2人は地下に暮らしながらも外の世界を空想し、未だ見たことのない空に憧れを抱いていた。やがて外の現実を知る時、成長した少年達は何を思うのか─。”



もう一つは、きみの声をとどけたい (上映時間94分)
http://kimikoe.com/movie/

”海辺の町で暮らす16歳のなぎさ。将来の夢を見つけられず焦りを感じている彼女は、幼い頃に祖母から聞いた「言葉には魂が宿っている」という話を信じていた。
ある日、今は使われていないミニFMステーションに迷い込んだなぎさは、出来心でDJの真似事をする。偶然にも放送された彼女の言葉が、思いがけない人物に届き…。”



何といってもCOCOLORS、モブも含め登場人物が全員宇宙飛行士のような格好なので、性別・年齢・顔はおろか姿かたちも不明。でもって、世界がほぼ白黒でしか表現されていない、という実験的なもの。ストーリーの主軸に「空はどんな色をしているのかを観に行く少年」が据えられている、というのが妙に気になる。実は、オリジナル上映時は無音の作品で、劇伴とセリフは上映時に観客の前で演じられたとか。まるで古のサイレント映画のような作品で、なんか面白そう。


それはそれとして、もう一つ、きみの声をとどけたい。こっちはちょっと観るだけで分かる「夏の湘南を舞台に、友達との関係や将来の夢に悩む女子高生たちの青春群像劇」。昨年の8月末から上映していて、いよいよ劇場上映を終了しようかという最後の上映館。

正直、きみの声をとどけたい、だけだったら「よくありがちなアニメ」という印象になったと思うのですが、2つ並んだときにちょっと引っかかる。


まず、どっちの作品も「大事な人に何かを伝えようとする物語」で、その伝えたいと思っている主体は「成長という階段を今まさに上りつつある人」であるが、それ以外の要素に共通点が見当たらない。特に並んだポスターで分かるように色彩の落差が大きすぎる。

いや、なんでこれを2つ並べて上映しているんだろう?と思ったというわけ。実際、他の上映作品も含め一日中この映画館にいて全部見る人はいないわけで、上映順に映画館側の意図はなかったのかもしれないけど、きみの声をとどけたいの次がまたCOCOLORS(英語字幕版)だったので、何かあるかも、という好奇心に負けた形。


実際にスクリーンを眺めていると、

前者は本当に実験的な描写で、人物の表情などの補完情報がなく、体の動きと音だけでドラマが表現され、
破局後の世界は白黒・灰色で、人類全体が大きな脅威に脅かされているため、関わる人たちはストーリーが進むとともにどんどん減っていき、完全な滅亡は時間の問題、
その中で、未だ見ざる空がどんなものなのかを主人公は知ることができるか、それをもう一人残る友に伝えられるのか、
というストーリーで、


後者は、仲間うちの本音のぶつかり合い以上の対立、敵対勢力がない「優しい世界」が、目に映るものが全て輝いてまぶしいほどの天然色で描かれ、様々な登場人物が、こじれてしまったものや、友達の心に潜んでいる本当の想いや、他者への嫌な感情や、心残りをお互いに伝えあい、別々の世界に旅立っていくまでのちょっとした踊り場で起きた物語。そこには多くの周囲の助けがあって、ラストシーンに向かって仲間の輪はどんどん拡がっていくオーソドックスなタイプのストーリー・・・


うむ、全然違うね!

と言いたいのだけど、実は両方の映画で私が受け取った結論は同じものだった。それは「未来はどうとでも描ける真っ白なものだ」というもの。


前者は、その「そらの色」が希望(みたいもの)でもあり絶望(みられないもの、怖いもの)にもなる中で、ラストで実際に「そら」を見た瞬間に「空の色は何色(自分の未来)に正解なんか無いということに気づく」というその一点のために、仲間もそれまでのエピソードも全て積み上げられ、全てが収れんするように作劇されていて、

後者は、「将来の夢を見つけられず焦りを感じて」いる主人公の周りには「様々な未来に向かっている人たち」がいて、一夏の活動を通して、多様な選択肢があることを知り、それの反射を受ける形で、自分のやりたいこと(未来)も見つける作劇だった、というだけの違いだったのかなと。


でもって、前者は、最終的に主人公一人だけが残るのであるが、「COCOLORS(コカラス)」という造語?の接頭辞のco-が、彼の「色」には「誰か共にいる者」の存在を示し、

後者の「こえを届ける」その声は「私の」ではなく「きみの」であって、やはり共に歩む者の存在を示す。


誰しも共に歩む者がいて、その輪の中から未来が生み出される、という連作だったのだな、と。

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