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zoom RSS 本「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」

<<   作成日時 : 2014/06/09 22:27   >>

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発売直後から、この本は読むべきという友人評があって、購入は比較的すぐにしていたのだけど、震災から3年になってやっとひも解けた一冊。福島第一原子力発電所で起きたメルトダウンへの対応に当たった当事者たちにインタビューして書かれたドキュメンタリーです。


東京で震災に遭った私は、家が倒壊したり流されたりするような直接の被害には遭わなかったけど、あまりにも多い余震といざとなったら東京を捨てて逃げないといけない「可能性」のために少しナーバスになっていて(現実にいくらかの着替えと預金通帳等をまとめた緊急持ち出しカバンを3月中はすぐに持ち出せる状態にしてあった)、

当月のブログ記事の中にも「ブログを書く気にならない」という理由とともに、参考記事リスト的なものを作って更新している様子がうかがわれる。それも地震関連と原発関連で。

2011年3月のブログ いーわん情報源 たまには日記 /ウェブリブログ

当事者でなく、30km先を撮影できるカメラという秘密兵器を投入したNHKのニュースを見ながら、会社に通っている程度の私はさておき、実際に事故に直面し、それを何とかしないといけない重責を担わされた人々は、私などよりもとんでもなく厳しい日々を送っていて、

その方々のおかげで、破滅的な状況は回避され、我々はまだ東京で住み、働き、遊んでいることができる。


そのFukushima 50と海外でも報じられた人たちの責任者「吉田原発所長」に、政府側の責任者「菅首相」、放水のために駆けつけた自衛隊の消防隊のメンバーに、手動で動かす他無かったバルブ等を動かしに決死の活動をする運転作業のメンバーなどを個別にインタビューして、実名で、誰がいつ何をしたか再構築することで、

そこはどんな場所で、何が起き、対応して何が出来、何が出来なかったのかを立体的に見せてくれる本になっています。


事故の時とその後の冷却の努力(今でも続いている)はもちろん、原発の建設、働き口が出来ることへの地元の期待から始まって、

事故現場で危険に直接立ち向かった人の他に、周囲の人々、後方で支援した人などの記憶が集められています。


もちろん、それぞれの自分の記憶であのことを振り返るのだから、ある程度の自己正当化要素がある可能性はあるけど、そこは関係する人の証言をクロスさせて精度を上げている感じ。

読んでいると、(計器が機能しない、必要な情報が入らない、支援が十分に来ない、そもそもこういう時の行動がどういう性質のものなのか知らない等のせいで)何が出来るのか分からなくなっている、生きて帰れるかも怪しい状況下でも、自分の思いつく限りのことはやろうとする究極のプロフェッショナル意識を持つ人たちがいて、

指示待ちでは間に合わない、確実を期していてはタイミングを逸するかも、という命令違反的な行動も取り混ぜて、かろうじて「最悪の事態に行く道」を回避できた幸運を実感できます。


原発事故の報道初期からあったニュース「作業員が行方不明」(最終的に原発の地下で津波で亡くなっているのを発見)の犠牲者の方のことも、ご遺族などの証言で1章起こされている点は特筆。新しい原発のために採用され、経験を積むために福島に行って亡くなった青年の人生に、それも今は破壊されただろう人材育成のための大きなサイクルを見出したり、

自衛隊の消防隊の活動についての1章から、これだけ原発だらけの国でも、公共が有する設備に放射線事故対応の知識や装備が十分でない(それは今では改善されているのだろうか?)と思わせられたり、


いろんな教訓が見出せそうな気がします。少なくとも「日本というシステム」が「原発事故」に打ち勝てたのではなく、「個々人の頑張りで辛うじて最悪を回避できただけ」。次に同じようなことがあった時に、大丈夫と言えるのかは、少々心もとない気がするのですけどね。


で、読み終わった後、しばらく経って、こんな記事が。

吉田調書 - 特集・連載:朝日新聞デジタル

「吉田さんの証言によれば、原発の事故に際して多くの社員たちが現場放棄して逃げた」といった趣旨に取れるスクープがなされ、またしても、「あの時、事故現場では何が起きていたのか」に注目が集まることに。


これに対してこの本の著者の方は朝日新聞を非難する記事を。

お粗末な朝日新聞「吉田調書」のキャンペーン記事


他にも、こんな見解も。

布施 祐仁(@yujinfuse)さんの「イチエフの東電社員たちは吉田所長の命令に背いて第二原発に”逃げた”のか?」


何でもいいから玉砕するまで持ち場にいるべき、というのも無茶なわけで、事故からわずか3年にして、当時何がどうしてどうなったのかの話に混乱が起きるようでは、「この教訓から仮に事故が起きても、個人の力量だけを頼りにすることなく、抑え込める仕組みを作っていかないと」という話にはなっていかないのだろうなぁ。


せっかく「あの時何が」の貴重なドキュメンタリーなのに、読み手側が「あの時は大変だったね」と読んでしまっては意味がない。原発事故は終わってないし、稼働させても安全と胸を張って言えるほど何かを改善したかどうかはよく分からない。仕組みは大事なのだが、そういう議論にどうやって持っていけばいいのか。




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