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zoom RSS 本「大日本帝国の国家戦略」

<<   作成日時 : 2013/10/10 22:48   >>

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そもそも、「大日本帝国」成立の基になる意思が「西欧列強によるアジア植民地化の波から日本を守る」だったとすれば、実は、(第二次大戦の無条件降伏まで勘定しても)「国家目標は達成」していることになる。では、いったい、明治に成立し、昭和20年まで続いた大日本帝国とはどんな国家運営を行ってきたのか?という本です。



大日本帝国の国家戦略
彩図社
武田 知弘


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表紙が戦艦長門の正面からの写真なので、「戦前の日本」礼賛的な何かに見えて手を出しにくいのが微妙に勿体ないところ。たまにこのブログにも書きますが、昭和20年以前と以後って、大きな断絶があって、まるで別の国であったかのように連続して扱わない傾向があるのだけど、住んでいる人は同じなんだし、統治機構も実はそんなに変化していない、明治で成功して昭和前期に失敗したのだとすれば、具体的に何をどうした結果、どういうことが起きたのかをきちんと見ておかないと、また同じことをやらかす可能性は高い。著者も似たようなことを考えているようです。


基本的に「大日本帝国」の行動基本原理は「列強侵略から日本を守る」(ある意味「攘夷」運動は受け継がれたわけだ)。


ただ、江戸末期・明治期の日本の支配層は、今よりも「自分たちのおかれている世界情勢」への理解が深かったらしい。

根拠のない自信で無茶をしたりはせず、相手の国と自分たちの国の力を正確に見比べ(そのための情報収集の努力をはらい−明治新政府側はもちろん、ここでは守旧派になる幕府だって「黒船到来を事前に知っていた」わけだし、準備しなかっただけで−)、足りないところをきちんと補強するために資源を投じたし、
最悪の場合、相手のルールの上ででも自分たちの言い分を通すための方法を考えていた(「日本のルールが通用しない」とか甘ったれたことを言わない)。


そこで政策の優先順位がつけられたのが、富国強兵政策であって、そのためには「士族の武力弾圧」みたいな強権発動も辞さない決意がある。

結果、アジアの中でいち早く「中央集権国家」と「精強な軍事力」を持つことが出来、侵略を防ぐことができた、と繋がる。


また、既に植民地化を受けた清国の失敗を研究し、

土地の租借、鉄道や通信などのインフラの所有、徴税権などを外国企業が狙ってくるので、それには断固たる態度で応じる、

必要ならば、元々どこの国の帰属がはっきりしない場所について、先手を打って「ここは日本の領土」とはっきりさせる、

などの外交力を発揮したのが、大きな要因であったとする。


そんな感じで、「きちんと情報収集し、相手がどういう手の内なのかをよく知って、自分たちの落としどころを持って、事に臨む」ことが出来ていたうちは上手くいっていたのだけど、


「戦争すれば勝利する」(日清・日露、第一次世界大戦は全て勝利側になった)状況に、

「自分たちは強い!」と慢心して相手の研究を怠り、既得権の保持などが重視され、情勢の変化とかをきちんと情報収集・分析して対応策を打つ慎重さを失ったとき(→昭和の十五年戦争)に、それまで得たものを一気に失う状況へ転がり落ちていったのかな、と。

であれば、戦後高度成長とバブル、崩壊後の日本の低調さは、タイムスパンが短いだけで、大日本帝国と同じことを軍事力ではなく経済力で繰り返しただけとも言えるような。


戦後日本人は、「軍部の暴走に巻き込まれて国民が被害者になった=軍人が悪い」として「自分たちの戦争責任」から逃げた側面があるのだけど、

その「誰かが何とかしたから(してくれる)」ではなくて、自分事で歴史は学ばないとこの先は危ないかな。

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