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zoom RSS 本「明治の男子は、星の数ほど夢を見た。」

<<   作成日時 : 2018/01/13 23:10   >>

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最近は「日本はすごい、いろんな国に愛されている」系のTV番組が増えたので、この事件の知名度も多少は上がって来た気がします…エルトゥールル号遭難事件。

トルコ(当時はオスマントルコ帝国)から大日本帝国までやってきた使節を載せた軍艦が悪天候に遭い沈没、数百人が亡くなる大惨事になったもの。和歌山の人々が必死の救助活動を行ったため、恩義に感じたトルコが語り継いでいるという話。イランイラク戦争時の在留邦人脱出に際しトルコ航空の飛行機派遣による救援劇が行われた話とセットで語られる交流の物語です。

その時「わざわざ日本まで訪れて悲劇に遭ったトルコ軍将兵に義援金を贈ろう」という運動が起きたのだけど、それを集めていた人の一人がそのままトルコに渡って、オスマントルコ帝国の皇帝(スルタン)に気に入られ、トルコ−日本の貿易(主に日本の美術品を上流階級に紹介、ということのようだが)を始めたり、逆にトルコ事情を日本に紹介したり、トルコを訪問する要人の案内などの民間外交官的なことをしたりしました。その人の名は山田寅次郎。この本は、その人物とは直接会うことのなかったお孫さんによる、謎に満ちた祖父を知る旅の本です。

で、この寅次郎さん、実は茶道の由緒ある流派の家元(の養子)でもある。赤穂義士物語で浪士に吉良家茶会の日を教えるお茶の師匠の役回りになる、山田宗偏(本当はぎょうにんべん)の流派の跡継ぎにあたるといえば通りがよいか。なんでそんな人がトルコとの懸け橋に?

・・・という

一生をかけて一つのことをやったわけではない、というのが大きな特徴でしょうか。

江戸時代が終わって、明治時代の変革の中で育ち、太平洋戦争で自分の家が焼け野原になるまで生きた人物が、あれもこれもと面白そうなことに手を出し、やってみて、それがすべてどこかで次のことに繋がっていくような人生、その「何事も無駄ではない」、「それがそこに繋がるの?という人の世の不思議」を体現したような歩みをしたのを紐解きます。


家老という藩の中では身分の高い方の家の出ではあるけど次男坊。身を立てるためには家を出てどこかに行かざるを得ない人物は、明治になって、茶道の家元を継ぐべく養子に。

でも、時代は「伝統を守る」習慣が音を立てて崩れ落ちている真っ最中。養親も早くに亡くしたため、ある意味自由になってしまった寅次郎さん、好奇心の赴くまま好きなことをします。


出版をやってみる。

政治活動をやってみる。

横浜(外国人がいっぱいいる!)で潜水の技術(空気のボンベなどを使うような西洋の先端技術)を学んでみる。


なんか、インターネット初期の頃に盛り上がって、個人ポータルサイトの運営をしたりした若者のようです。

でもって、不思議とこの人、見切りも早い。タウンページというかやはり初期のリンク集サイトというか、そんな情報販売商売が少しうまくいってもそこにのめりこまず、政治活動からはさっさと撤退。潜水術は本当に試してみた程度で「やった」というほどの実績も残っていない。別に何をやりたい、という目的に向かって何かやっているというよりも、「自由に何でもできる」ことを楽しんでいるようにしか見えない。そのまま茶道の家元も継がず、何をするでもなく流行りものを転々とする人生になりかねないのだけど、トルコの軍艦の事故がそれを変えてしまう。


そもそも、軍艦の事故に興味を持ったのは潜水夫関係の人脈からではないかという説が出てくる。

義援金集めは、新聞に記事を書いたり、講演会をやって聴衆から集めたりしたという。そこには出版事業に関わった経験や政治活動の経験が活きている。

そして、お金を集めてどこかに渡して終わり、になりそうなのに、なぜかこの者、当時の外務大臣と会い、あなたが集めたお金なんだから直接持っていったらどうだ、とか言われて、日本の軍艦に便乗してトルコまで行くことになる。そこには潜水夫(事故の船からいろいろと引き揚げる仕事がある)の口添えがあったのでは、という話が出てきて、ここでも過去が未来を繋いでしまう。

本の中では、寅次郎さんあんなことをやった、こんなこともやってた、あんな人とも知り合いだった、とバラバラな話として出てくるのに、全部が無駄になることなく繋がる。これがこの人の人生を追いかけて楽しいところ。


でも、お茶は繋がっていないじゃないか、あれはどこへ行った?と言えば、今度はトルコに行って「義援金持って日本人が来た、そいつは武士の子で、茶道という日本の伝統美術の伝承者らしい」ということとして、オスマントルコ帝国の皇帝の下に入っていく役に立っていく。日本の美術品を日本国内で入手し、トルコへ輸出していくにあたって、茶道の家元であることも役に立っただろう。


今度は、トルコに駐在しているほぼ唯一の日本人となったことで、トルコを訪問する日本人の世話をして、情報のハブになる。

結果、新しい商売のタネ=煙草を巻く紙の製造を見つけて、日本に帰って創業、同時に茶道の家元に復帰・・・


人生3,4回分まとめて生きちゃってますね、というところが楽しいです。本当に「星の数ほど」。


明治には、こんな感じで波乱万丈な人が何人も出てくるけど、別にこの時代に特異な人がたまたま揃ったわけではなく、いろいろな新しいものが新しい国のために必要な時代が来てて、レールとかしがらみが弱まっていたことを利用して、今までと違うことに果敢に取り組んだ人がいっぱいいた、ということなのでしょう。その意味では太平洋戦争後などと同じ。変にこざかしく人生を「計算」したりせず、まぁ、ダメだったら違うことやればいいさ、くらいで開き直ると人生面白いよね、という実例なのでしょうね。



追補:この本の元になった山田寅次郎研究会は今も続いていて、

2017年2月10日と11日に、当時のオスマントルコ帝国がどんな場所だったかをテーマにした講演会・シンポジウムが行われる模様。ご興味があればそちらもぜひ。

山田寅次郎研究会2017(ワタリウム美術館 PDFファイル)

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